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2012.11.16

三宅久之氏の死に思う

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平成24(2012)年11月15日、三宅久之氏が亡くなりました。82歳でした。

私は以前「芸能人の自覚の無さ」という記事を書き、早く死ぬのは芸能人として体たらくだと書きました。

三宅さんは82歳ですから、まあ及第点と言えなくもありませんね。
(恐ろしく不遜な物言いで恐縮ですが)

でも、一つだけ惜しいと思うことがあります。
それは、自ら『TVタックル』を引退してしまったことです。
あれを引退していなければもっと長生きしたに違いありません。

三宅さんの『TVタックル』引退の回にナベツネさんがVTR出演して
「やめるな」と言っていました。
まさに、その通り。
やめてはいけなかったのです。

『TVタックル』という番組そのものについては、まあ、しょーもない番組というか
偏向番組と言っていいのでしょうが、それはさて置きます。

昔、萩本欽一さんについてビートたけしさんが、こんな事を書いていたのを記憶しています。

「自分からエンジンを切ってしまうのはよくない」

三宅さんは政治評論家を引退することで、自らエンジンを切ってしまいました。

学問とはなにか。
先人を教えを学ぶこと。
何のために学ぶのか。
その学びを超える為である。

80歳になったから、自分はそろそろ…とか
人間はどんなに頑張っても120歳までしか生きられないらしいよ…とか

そういう思考を超えるのでなければ、人生について学ぶ意味がありません。
学びが逆に学んだ当人の可能性を狭めてしまっては何の意味もありません。

よく研究者で40歳くらいまでに何らかの業績を上げて
その業績にあぐらをかいて、もう自分は若い時のように体力もひらめきもないからとか言って、まともに研究せず、オバちゃん相手に啓蒙的なことばかりやって小銭稼ぎをしている人がいますが感心しませんね。

まず最低でも自分は200歳まで健康に生きるのだというふうに構えてみせなければなりません。
そう思ったとき、たかだか70歳や80歳くらいで健康を害したり、好きな仕事から自ら引退したりする行為が如何にだらしなく、情けないかが分かるでしょう。

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つまり、常識的な思考で生きていてはダメなのです。
それと、「死」と「美」とを安易に結びつけてはなりません。

死が醜いものだ、穢らわしいものだと言いたいのではありません。
YouTubeでこんな動画を見つけました。
ジェームス・スキナーさんです。

「だいたい人間は死というものに過剰な意味を与えています」

まさにその通り。

死に関する哲学、論考、果ては壮大な宗教教義…あれらはすべて「死ぬのが怖い」というセリフを言い換えたものに過ぎません。

怖いのはいいんです。
経験したことがないんだから。

「死んだことないから、死ぬのってちょっと怖いよね」

それでいいんです。
むしろ、それだけでいいんです。

それ以上、あーだこーだと死について考えることは、
まさに死に対して過剰な意味を与える行為に過ぎません。
時間の無駄です。

百歩譲って時間の無駄くらいならまだいい。
あーだこーだと考えた挙句、「死」を「美」と結びつけて
「死」と「甘美な世界観」を融合させるところまで行くと完全に有害です。

よく、こういうことを言う人がいますね。

「長く生きりゃいいってもんじゃないよ」

そういうセリフを吐く資格かある人は、長く生きることができている人です。

「一流大学を出てりゃいいってもんじゃないよ」
というセリフはまさに仰るとおりですが、頑張っても三流大学しか出られなかった人が言っても単なる負け惜しみにしか聞こえません。
そういう事を言いたければ、とりあえず一流大学を出てなきゃいけません。
それと同じです。

三宅さんは自らエンジンを切ってしまったと書きましたが…ホントに体が辛かったのかも知れませんね。
本当にお疲れ様でした。
ゆっくりお休みになって下さい。

残された我々はとりあえず、読みますか。



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タグ:三宅久之氏
00:20 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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